トムハンクスさんの映画フォレストガンプの中で
主人公のフォレストが、無心にずっと走り続けるシーンがある。
取り憑かれたように無心にって感じのシーン。
なんとなく、心境がわかる。って感じ
犬もいないのに
いつもの散歩コースを歩く。
日頃、1回の散歩で1周を
3周も4周、5周も6周も何周も歩く。
「どうせ帰ったって、お世話がある訳でもない」
「寂しいだけ、悲しいだけ。孤独を感じるだけ。」
そんなおひとり様。
誰もいない部屋に帰るのは辛い。
辛いくらいなら寒い方がマシ。
ま、何周も歩く心境の時は、寒さなんて関係無くなっているけどね。
それと
もうじきこの足になって2年と5ヶ月になる。
やっと最近、以前、履いていたすり減った靴がしっくりと馴染むようになってきた。
これの意味は、以前のように歩け始めてきたのである。
歩けるようになって1年目の時は、
「なんて、偏った減り方した靴なんだろうか。」
「これじゃ、ちゃんと歩けない」
で、
デコボコしながら歩いていた。
びっこを引いて、ちゃんとした足運びと接地が以前のようにできなかったから、片減りがデコボコと感じていたのだ。
2年目でも片減りした通りの足運びや接地ができず、
「この片減りした靴の違和感、デコボコがなくなれば、きっと、以前の歩き方に戻る」
と気がついた。
そして
最近、デコボコをあまり感じない。
いや、感じないように意識して、減り合わせて歩けるように努力している。
片減りしたように歩いている。
そんな気がする。
足の痺れは、相変わらず。
医者にも残るだろうと言われている。
痛みは、痛いってほどじゃないが、まともでもない。
鈍い疼痛や違和感も相変わらず。
歩いても意味はない。
逆に痛めるリスクがあるから、余計に歩かない方が良い。
とも言われている。
しかし、人間は不思議と、当たり前に出来ていた事ができなくなると、悪あがきをする。
それで、少しでもできると、安心感を得て、自信を取り戻そうとする。
そして欲深い。
もっともっとを求める。
フォレストガンプで悲しみも嫌な事を忘れて歩いている事で、
日常、足に痛みが出る度に、「何周も歩けたじゃないか」
と自分に言い聞かせ、2年以上も経って治らない焦りや苦悩を消しにかかり歩く。
そして
今、一番辛く悲しく寂しい事や孤独から逃げるように歩き続ける。
朝も晩も。
正にフォレストガンプのよう。
朝日を浴びながらボールを追いかける姿はない。
画がないと寂しいから、あすたに届くように
忘れずに、また会えるように。を願い
姿を残す。
愛しているよ
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