今日で、2回目の週末。
週末は、やっぱり、ゆっくりしたり、お出かけしたくなる曜日。
日帰りとかは、混むから平日の方が多かったけど、やっぱり、週末は、週末って気分になる。
そんな週末。
数年前から無くなり、
「つまんないね」
「寂しいね」
ってなると、
あすたと2人で、どうにか過ごして来た。
だから、
週末は、あすたとの時間、平日以上な思いがある。
だから、週末は、辛さが増す。
今日で、まだ12日しか経っていない。
でも、凄く経っている気がする。
きっと、元気だった頃から数えている。
そんな感覚でいるからなのだと思う。
2階にいる時は、未だに実感が湧かない。
「下にいる」
「ねんねしている」
「今日は、ご飯食べるかな…」
そんな風に、まだあすたとの日々が続いたままなのだ。
下に降りても、
いないんだけど、居る。
お花とかあっても、
あすたのじゃなくて、
あすたは、送る方で、だれか他の子の花。
そんな風に感じてしょうがない。
たぶん、びっけを送る時、あすたと一緒に送ったので、
そのせいかもしれない。
しかし、
仕事が終わったあと、
あすたの時間がやってくる。
元気な頃は、お散歩に出て、
戻ってご飯の支度して、ご飯をあげる。
そのあとは、私の食事のおこぼれ頂戴!しながら一緒にする。
あすたたちの時間。
その時間が来る。
やる事が無い。
ルーティーンが無くなった。
すると、
急にスイッチが切り替わり、現実が襲って来る。
悲しく切ない現実。
そして、
耐えきれずに、ひとりで散歩に出て歩く。
少しだけ楽になれる。
不思議と、必ずそう辛くなる訳でもなく、長時間、続くわけでもない。
また実感がなくなる感覚に戻る。
あいんやびっけとのお別れの時には起らなかった感覚なのだ。
この感覚は、
きっとあすたからの贈り物なんだと思う。
逝く前からの。
始めに
徐々に散歩の距離が短くなり、
時には行けない、散歩無しになった。
行けても、遠くまで歩けない。
早起きして、あすたを起こして、散歩をする事がなくなった。
あすたが自然に起きてから、外の空気を吸う程度に。
室内においても、トイレでも、どこでもついて来ていた。
階渡りをする時は、絶対についてきていた。
直ぐに戻るから、下から取って来るだけだから。
そんなんでもついて来る事が多かった。
それが徐々に出来なくなり、離れている時間が増えて長くなって来ていた。
あれ、来ない。
あ、来ていない。
来れないんだね。
寂しいけど、そっとしてあげましょう…。
と絶えずそばに居る事から離れている状態に少しずつ少しずつ、耐えられる様に、なれるように時間をくれた。
とは言え、
無理してでもついて来る。
それもあすた。
そんな姿に心を打たれ痛み、愛おしさが増していた。
朝のカリカリを食べなくなり、
食事の支度などのルーティーンがなくなり、支度もなくなったりしていった。
毎日、一緒にいて、あすたたちの楽しみ
食事とお散歩。
生活のリズム
ルーティーン
これが無くなっていった。
治る事のない血管肉腫。
食事とお散歩がなくなる事。
どういう事か… 苦しくなるほどに分かる。
毎日、これ(食べる事、出かける事)の為に生きている! 毎日の楽しみ!
それをさせてあげられない、この時期が、凄く辛かった。
そして、次のステップに移った。
寝て過ごし、トイレだけで動く生活。
凄く大変だったけど、
トイレしたい!と力を振り絞って教える姿に、胸が苦しくなり
「病気から助けてあげられない」
「トイレの補助くらいしかしてあげられない」
「ご飯や、お散歩、大好きな事、楽しい事をさせてあげられない」
「だから、トイレやほかのできる事、最優先で手伝います」
そんな風に、徐々に、徐々に、
そして、介護をさせてくれた事で、いなくなった実感が湧かない。
まだ続いている感覚しかない。
そんな状況を生み出している気がする。
20日の朝、
自力で立ち
以前と変わらぬ姿で水を飲んだ。
その姿にびっくりをした。
これが最後の立っての飲食の姿。
20日と
21日14時に、テラスに歩いて出てきた。
これにも驚いた。
全く立てないとは思っていなかったし、トイレくらいは立つことができていた。
終われば、直ぐに伏せてしまう。
そんな状態だった。
トイレの後片付けの為、テラスの先まで出ていたら、
「私も行きます。」
と、出て来たのであった。
これが最後の自分の意思で補助なしで自立して歩行した姿だと思う。
おこぼれ頂戴! に来て、食べられるものがないと可愛そうなので、ウィンナーを用意していた。
それも食べられなくなった時、
凄く辛かった。
だから
今
用意した。
「はい、あっちゃん。」
「お食べ」
今の季節のユリは、あまり香らないのかな…
あいんもびっけも6月に旅立った。
その時期のユリは、凄く香った。
それ以来、ユリの香りを嗅ぐと、旅立ちの香り と思っている。
今のこころに
ユリは、良い
あすたの好きだったボール。
蓄光ボールなので、光りを充てると、ボワッと光る。
しかし、時間が経つと光らなくはずなのだが…
僅かではあるが、
ずっと、
ずっと、
光り続けている。
日中や蛍光灯で照らされているので蓄光はしている。
何時間も経った深夜でも光っている事に驚いた。
そのボールを見ていると、
「あすたの魂」
「火の玉だね」
と
側にいるように感じてしまう。
実感が湧かない。
魂は、まだそばにいる。
あるあるだが、
誰もいない階から部屋から音が聞こえる。
あすたが、動く音。
ドン!と倒れるように横になる時の音。
段差から飛び降りる時の音。
とにかく聞こえる。
空耳?
何かがきしむ音?
でも
もっと大きい音がする時もある。
思わず見に行ってしまう。
部屋のドアは、今もあすたが出入りできるように今まで通りに開いている。
ちゃんと閉じ込められないようにストッパーも今まで通りにしている。
階段の上り下りもテラス戸の開閉も、
あすたが横にいる。
そんな動きをしている。
敢えてやめない。
そして、今まで通りに声もかける。
あすた、降りるよ。
あすた、入るよ。
あすた、お散歩だよ。
さあ、行こう!
愛してます。
あすたからの贈り物の効力が徐々に薄れて来ている。
お花がなくなり
ガランとした部屋に戻る頃には実感が湧き、完全に効果を失っている頃だと思う。
それからが怖い…。
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