ゴールデンレトリーバー“あいん”、“あすた”、“あすな”、ラブラドールレトリーバー“ミミ”、“すぅ”、フラットコーテッドレトリーバー“びっけ”の気ままな生活

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ずっと悩む 犬終い

びっけが元気な頃のあすたを迎える時から、ずっと決めていた。
あすたの次の世代まで。
数年前、環境が変わり、
健康状態、精神状態も変わり、
ずっと、ずっと、悩んでいる。
あすたの次の世代の事を。
あすたが元気な頃から、
その時が来た時、
余裕なく悲しみの中、
考えるのは、辛いし厳しいと思っていたから、事前に「犬終い」の事を考えて来た。
 
今まで、自分がトイレにも出せないほどに動けなくなるなんて、
1ミリも思っていなかったし考えもしなかった。
ギックリ腰みたいなっても、どんなになっても、トイレくらいは、どうにか出せる。と何十年もやって来たからだ。
だから、「犬終い」は、あすたの次の世代で終わり。
と決めていた。
それが、実際、ひとりになり、自分のトイレにも行くのに苦労し、水も汲めない、飲めない状態になり、あすたたちをトイレに出す事もできなくなった。
今日だけ、今だけの話しならば、どうにかにもなるが、
「自分で立てない、歩けない」1歩もになると、犬のお世話も無理となる。
それも長期に渡って。
そんな経験をし、
2年半経っても、元に戻らね健康状態でいると
「またなったら、悪くなったら、歩けなくなったら、どうしよう…」
の焦りと不安を抱えている。
今、幸い、悪くはなっていない。
整形外科にもちゃんと通っているし、消化器内科でも2~3か月に1回の血液検査と5~6か月に1回エコー検査も受けている。(現在は、整形外科は、現状維持。内科は、問題なし)
1年前に比べれば、良くもなっている気もするが、
「お世話は絶対!待ったなし!」 と思っているので、もしもと思うと不安となり、悩んでしまうのである。
それと、
あすたたちは、小さい頃から先住犬の姿を見て学んできた。
散歩の仕方、呼び戻し、泳ぎ方、テントやタープでの待機の仕方や、キャンプの時にどこがベースになるか、車の乗り方などなど。
人が教えるより、見て学ぶ方が早い。
これからの事を学んだ後の大人ならば、先住犬と離れても、覚えた事は忘れないでちゃんとできると思う。
そしたら、単独にもなれると思う。
また、小さい頃から一緒に行動する事で、絆が生まれて、仲良くもできると思う。
人とは、違い、「今日から一緒に過ごしますから仲良くしてください」って言われてもって事である。
お世話も絆も全ては、積み重ね。
その環境、先住犬からの学びを与えてあげられない事も悩む要因でもあるが、
単独飼いはしょうがない。
今の健康状態で、ひとりでキャンプに連れてってあげる事も難しい。
長距離の運転もまだまだやってみないと分からない。
湖や川、山のキャンプ。
「あすたたちが楽しんで来た事を与えられそうにない。」
そう思うと、「止めた方がいいのではないか…」
「連れてってあげられないなんてかわいそう」
と思ってします。
だから、ずっと、ずっと悩んでいるのである。
犬は好き
レトリーバーはもっと好き
パートナーとしてレトリーバーは必須でもあるし生きがいでもある。
だからこそ、
最後まで責任を持ってお世話をする。
だから、悩むのである。
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あすた 四十九日 魂も空に登る日

犬の世界にあるかは知らないけど、
飼主的はあるのが、四十九日。
ホントかどうか知らないけど、
四十九日に魂が天に登る。
そう聞いた記憶がある。
なので、
明日から、あすたは、もうそばにはいない。
びっけたちと一緒のところへ魂も行ってします。
四十九日。
年越しがあったりで、あっとう言う間なのか? そうでないのか…
自分でも分からない。
が、正直なところ。
それと同時に、
未だに、いないのだが、いない感覚がない時がある。
不思議。
そんな49日目なのであります。
 
また会えるのかな…
 
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初詣と初雪遊び!?

去年は、12日。
密を避けて、ピークアウトしてからお参りをする事に。
今年も10日過ぎと思っていたけど、
「雪降って来た」
「雪の中の長蛇の列はない」(だろう)
って事で
行ってきました。初詣。
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お札を返して、またもらう。
いつもはこれでおしまいだけど、空いていたので、他の物も物色。
で、
神楽焼のとらおくんと調の宮さま(調神社)のうさ子をゲット。
置く場所を考えちゃうけど、
この数年、失うモノばかりなので、神さまグッズで防御!?を。
良い事がありますように…
 
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降った雪は、大雪ってほどではなかった。
激寒ぃってほどでもなかった。
なので、翌朝まで踏みしめた時の、ぎゅ、ぎゅが楽しめた。
お天気もよく、おひさま素晴らしい。
風もなく、最高で素敵な朝が来た。
そんな最高な雪と朝日を浴びると、
雪山、登って、いっきに麓目指して、滑りたい!
パウダースノー吹き上げながら滑りたい!
って感じになる。
やっぱり大自然は、偉大だね。
心が躍り、安らぎ、癒される。
すべりてぇー
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フォレストガンプのよう

トムハンクスさんの映画フォレストガンプの中で
主人公のフォレストが、無心にずっと走り続けるシーンがある。
取り憑かれたように無心にって感じのシーン。
なんとなく、心境がわかる。って感じ
犬もいないのに
いつもの散歩コースを歩く。
日頃、1回の散歩で1周を
3周も4周、5周も6周も何周も歩く。
「どうせ帰ったって、お世話がある訳でもない」
「寂しいだけ、悲しいだけ。孤独を感じるだけ。」
そんなおひとり様。
誰もいない部屋に帰るのは辛い。
辛いくらいなら寒い方がマシ。
ま、何周も歩く心境の時は、寒さなんて関係無くなっているけどね。
それと
もうじきこの足になって2年と5ヶ月になる。
やっと最近、以前、履いていたすり減った靴がしっくりと馴染むようになってきた。
これの意味は、以前のように歩け始めてきたのである。
歩けるようになって1年目の時は、
「なんて、偏った減り方した靴なんだろうか。」
「これじゃ、ちゃんと歩けない」
で、
デコボコしながら歩いていた。
びっこを引いて、ちゃんとした足運びと接地が以前のようにできなかったから、片減りがデコボコと感じていたのだ。
2年目でも片減りした通りの足運びや接地ができず、
「この片減りした靴の違和感、デコボコがなくなれば、きっと、以前の歩き方に戻る」
と気がついた。
そして
最近、デコボコをあまり感じない。
いや、感じないように意識して、減り合わせて歩けるように努力している。
片減りしたように歩いている。
そんな気がする。
足の痺れは、相変わらず。
医者にも残るだろうと言われている。
痛みは、痛いってほどじゃないが、まともでもない。
鈍い疼痛や違和感も相変わらず。
歩いても意味はない。
逆に痛めるリスクがあるから、余計に歩かない方が良い。
とも言われている。
しかし、人間は不思議と、当たり前に出来ていた事ができなくなると、悪あがきをする。
それで、少しでもできると、安心感を得て、自信を取り戻そうとする。
そして欲深い。
もっともっとを求める。
フォレストガンプで悲しみも嫌な事を忘れて歩いている事で、
日常、足に痛みが出る度に、「何周も歩けたじゃないか」
と自分に言い聞かせ、2年以上も経って治らない焦りや苦悩を消しにかかり歩く。
そして
今、一番辛く悲しく寂しい事や孤独から逃げるように歩き続ける。
朝も晩も。
正にフォレストガンプのよう。
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朝日を浴びながらボールを追いかける姿はない。
画がないと寂しいから、あすたに届くように
忘れずに、また会えるように。を願い
姿を残す。
愛しているよ

初月命日 23日

あっと言う間ではない。
随分と時間がかかった。
大昔の事のよう。
朝起きて、朝の散歩へ出かけ、いつもの道をいつものように歩く。
戻ってからカリカリ朝ごはんを食べる。
その後、お肉の解凍、夕飯の仕込み。
これが終わってから自分らの事が始まる。
コーヒーを飲み、仕事を始める。
十年も、二十年も、それ以上も、ずっとやって来た朝のルーティーン。
8月10日の脾臓摘出から、このルーティーンができたのは、数えるほど。
お散歩もちゃんとできて以前と変わらなかった日は、きっと2~3日だったと思う。
手術から4か月ちょっと。
お空に昇って1か月。
何も心配せず、
 さぁ、お散歩へ行こう。
そんな頃は、遠い昔に感じてしょうがない。
まだ数か月なのに。
だから、あっと言う間ではない。
どう表現してよいのか分からないが…。
ユリの花を買った。
ユリは、お別れの花。
そんな香りする。
そう感じてる。
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あの日と同じような綺麗なお青空。
お月様も、同じように綺麗に見えた。
 
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あいんもミミもびっけも、
そして、あすたも
みんなあんなに大きかったのに、今は、この掌に中に納まってしまう。
カロートの中に。
これからあすたは、3姉妹と一緒。
4姉妹とおひとりさまだ(微笑
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お姉ちゃんたちと一緒に並べる写真を。
そう思って、色々やっている内に、
今は、まだ1枚だけにはできなかった。
時々のシーン、思い出の写真もあるが、
正に、今、目の前にいる表情。
そんな写真があった事に涙である。
そして感謝。
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大して教えていなかったのに、完璧な脚側歩行をするあすた。
 私が歩く位置は、ココです。♪
そんな感じに顔を見上げながら歩く姿。
大好きでした。
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リヤゲートを開けると、いつもやっていた荷室でお座りして見つめる姿。
この写真が、今は、一番好き。
この距離感や雰囲気が本当に目の前にいる。
そんな風に感じる。
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いつでも眼を見つめて来るあすた。
大好きなボールをやっていても、見つめてくる。
可愛くてしょうがなかったです。
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小さい頃から一緒だから、あすたもすぅも安心して一緒にいられる。
そして、ちゃんと2人の間にはルールがある。
すぅが好き放題な事をしても許しているあすた。
それを分かってやるすぅ。
だけど、食事をする位置は、左右が逆になる事は絶対にない。
おこぼれ頂戴をもらう位置も、絶対に変わる事がなかった。
あすたが前ですぅが後ろの位置。
今、あすたがいなくなって、2人分のスペースを1人で使えるようにしても、いつもの場所へ行く。
少し不自然ではあるが、今まで通り、2人でご飯を食べていた位置で、1人で食べている。
いなくなっても、人にはわからないルールは、しばらくは続くのであろうか…。
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茶尾(猫)とも仲良くなれたのにね。
これから、また仲良くするんだよ。
本当に優しい子だったと思う。
あすた、
愛しているよ。
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ここは、みんなのお店、ブース。
だから飾った。
狭い上、ギャラリーのようになってしまったが、しばらくは、お許ししてもらいましょうね。
ThreeRETRIEVERs!

救われる

久しぶりに茶色4号ことすぅが7泊8日でやってきた。
あすたが、お空に昇って、まだ1か月も経っていない。
しかし、普通にお散歩して、ご飯を食べての生活が無くなって、
随分と経っている気がする。
いや、
その間にあった出来事が、余りにも多く、
そう感じさせているのだと思う。
何年も
何十年もやってきた
朝起きて、散歩に出て、ごはん。
そんな手慣れたルーティーン。
それがなくなり、空白が生まれていた。
こころと時間の空白が。
そんな空白を埋めてくれたすぅ。
こころ救われる。
 
ルーティーン 
そのルーティーンが、たった少しの間、無くなっただけで、
そのルーティーンをリズムよくこなせなくなっていた。
うんこ袋を付けたまま、室内をウロウロしたり、
ご飯の支度を愚図ったり、仕込みを忘れそうになったりと…
もとの感覚に近づくのに1日以上もかかった。
やはり
同じ事を繰り返して上書きをしないと、
前のままになっているんだと思う。
あすたとの闘病でのリズムのまま。
 
犬は好き。
レトリーバーはもっと好き。
だけど、
お世話をして月日を重ねるからこそ大好きになる。
すぅは、生後数か月から7年間の積み重ねがある。
だから、空白を埋める事ができるのだと思う。
 
やっぱりイイ。
一緒に歩くお散歩は。
でも欲がでる。
群れの動物の犬。
昔のように群れを作りたい。
群れを作ってあげられない事に申し悪く思う。
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こんな事して、
こんなのもらったり
そんなお仕事は、お互いに楽しい♪ 
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あすたと2人だったら、お買い物とか、短いお留守番はしていたけど、ひとりじゃね。
って事で、こんな事したり
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あすたと2人して、おこぼれもらって、最後に容器をペロペロしたりの特売焼プリン。
あすたが、何も食べられなくなった時、手当たり次第、食べられそうな物、好きなものを買った。
だけどダメだった。
それからは、買う気になれなかったスィーツや焼プリン。
今回は、買えた。
こうやって、できなかった事、買ったりする事をする事で、
最後にした事や深く思いに残っている事を
新たにすることで上書きされて少しづつ気持ちが和らぎ前に進めるのだろうか…
好きなだけお食べ(^^♪
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みんな、みんな、寝ている姿、顔が一番好き。
だって、安心しきっていなければ、
そんな姿を見せてくれないでしょ
だから、好き♪
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やっと、ルーティーンの調子が出て来て、
お散歩のリズムもあがってくる。
ってかんじかな(^^♪
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そして、
またこんな事したり
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そして、寝る。Zzzzz
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それも、
もうじき終わる。

ウィンナーお食べ(^^♪

今日で、2回目の週末。
週末は、やっぱり、ゆっくりしたり、お出かけしたくなる曜日。
日帰りとかは、混むから平日の方が多かったけど、やっぱり、週末は、週末って気分になる。
そんな週末。
数年前から無くなり、
 「つまんないね」
 「寂しいね」
ってなると、
あすたと2人で、どうにか過ごして来た。
だから、
週末は、あすたとの時間、平日以上な思いがある。
だから、週末は、辛さが増す。
 
今日で、まだ12日しか経っていない。
でも、凄く経っている気がする。
きっと、元気だった頃から数えている。
そんな感覚でいるからなのだと思う。
 
2階にいる時は、未だに実感が湧かない。
「下にいる」
「ねんねしている」
「今日は、ご飯食べるかな…」
そんな風に、まだあすたとの日々が続いたままなのだ。
下に降りても、
いないんだけど、居る。
お花とかあっても、
あすたのじゃなくて、
あすたは、送る方で、だれか他の子の花。
そんな風に感じてしょうがない。
たぶん、びっけを送る時、あすたと一緒に送ったので、
そのせいかもしれない。
しかし、
仕事が終わったあと、
あすたの時間がやってくる。
元気な頃は、お散歩に出て、
戻ってご飯の支度して、ご飯をあげる。
そのあとは、私の食事のおこぼれ頂戴!しながら一緒にする。
あすたたちの時間。
その時間が来る。
やる事が無い。
ルーティーンが無くなった。
すると、
急にスイッチが切り替わり、現実が襲って来る。
悲しく切ない現実。
そして、
耐えきれずに、ひとりで散歩に出て歩く。
少しだけ楽になれる。
不思議と、必ずそう辛くなる訳でもなく、長時間、続くわけでもない。
また実感がなくなる感覚に戻る。
あいんやびっけとのお別れの時には起らなかった感覚なのだ。
この感覚は、
きっとあすたからの贈り物なんだと思う。
逝く前からの。
始めに
徐々に散歩の距離が短くなり、
時には行けない、散歩無しになった。
行けても、遠くまで歩けない。
早起きして、あすたを起こして、散歩をする事がなくなった。
あすたが自然に起きてから、外の空気を吸う程度に。
室内においても、トイレでも、どこでもついて来ていた。
階渡りをする時は、絶対についてきていた。
直ぐに戻るから、下から取って来るだけだから。
そんなんでもついて来る事が多かった。
それが徐々に出来なくなり、離れている時間が増えて長くなって来ていた。
あれ、来ない。
あ、来ていない。
来れないんだね。
寂しいけど、そっとしてあげましょう…。
と絶えずそばに居る事から離れている状態に少しずつ少しずつ、耐えられる様に、なれるように時間をくれた。
とは言え、
無理してでもついて来る。
それもあすた。
そんな姿に心を打たれ痛み、愛おしさが増していた。
朝のカリカリを食べなくなり、
食事の支度などのルーティーンがなくなり、支度もなくなったりしていった。
毎日、一緒にいて、あすたたちの楽しみ
食事とお散歩。
生活のリズム
ルーティーン
これが無くなっていった。
治る事のない血管肉腫。
食事とお散歩がなくなる事。
どういう事か… 苦しくなるほどに分かる。
毎日、これ(食べる事、出かける事)の為に生きている! 毎日の楽しみ!
それをさせてあげられない、この時期が、凄く辛かった。
そして、次のステップに移った。
寝て過ごし、トイレだけで動く生活。
凄く大変だったけど、
トイレしたい!と力を振り絞って教える姿に、胸が苦しくなり
「病気から助けてあげられない」
「トイレの補助くらいしかしてあげられない」
「ご飯や、お散歩、大好きな事、楽しい事をさせてあげられない」
「だから、トイレやほかのできる事、最優先で手伝います」
そんな風に、徐々に、徐々に、
そして、介護をさせてくれた事で、いなくなった実感が湧かない。
まだ続いている感覚しかない。
そんな状況を生み出している気がする。
20日の朝、
自力で立ち
以前と変わらぬ姿で水を飲んだ。
その姿にびっくりをした。
これが最後の立っての飲食の姿。
 
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20日と
21日14時に、テラスに歩いて出てきた。
これにも驚いた。
全く立てないとは思っていなかったし、トイレくらいは立つことができていた。
終われば、直ぐに伏せてしまう。
そんな状態だった。
トイレの後片付けの為、テラスの先まで出ていたら、
「私も行きます。」
と、出て来たのであった。
これが最後の自分の意思で補助なしで自立して歩行した姿だと思う。
 
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おこぼれ頂戴! に来て、食べられるものがないと可愛そうなので、ウィンナーを用意していた。
それも食べられなくなった時、
凄く辛かった。
だから

用意した。
 「はい、あっちゃん。」
 「お食べ」
 
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今の季節のユリは、あまり香らないのかな…
あいんもびっけも6月に旅立った。
その時期のユリは、凄く香った。
それ以来、ユリの香りを嗅ぐと、旅立ちの香り と思っている。
今のこころに
 ユリは、良い
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あすたの好きだったボール。
蓄光ボールなので、光りを充てると、ボワッと光る。
しかし、時間が経つと光らなくはずなのだが…
僅かではあるが、
ずっと、
ずっと、
光り続けている。
日中や蛍光灯で照らされているので蓄光はしている。
何時間も経った深夜でも光っている事に驚いた。
そのボールを見ていると、
 「あすたの魂」
 「火の玉だね」

側にいるように感じてしまう。
 
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実感が湧かない。
魂は、まだそばにいる。
あるあるだが、
誰もいない階から部屋から音が聞こえる。
あすたが、動く音。
ドン!と倒れるように横になる時の音。
段差から飛び降りる時の音。
とにかく聞こえる。
空耳?
何かがきしむ音?
でも
もっと大きい音がする時もある。
思わず見に行ってしまう。
部屋のドアは、今もあすたが出入りできるように今まで通りに開いている。
ちゃんと閉じ込められないようにストッパーも今まで通りにしている。
階段の上り下りもテラス戸の開閉も、
あすたが横にいる。
そんな動きをしている。
敢えてやめない。
そして、今まで通りに声もかける。
あすた、降りるよ。
あすた、入るよ。
あすた、お散歩だよ。
さあ、行こう!
 
愛してます。
 
あすたからの贈り物の効力が徐々に薄れて来ている。
お花がなくなり
ガランとした部屋に戻る頃には実感が湧き、完全に効果を失っている頃だと思う。
それからが怖い…。

シニアなんだよね

一生懸命に、
一緒にいようとする。
離れないようにする。
待て!が大っ嫌いで苦手なあすた。
それは、離れたくないから。
老いはあると思っていたけど、
思ってた以上に老いてしまっているんだね。
今まで、
そしてこからも
一所懸命に離れないようするんだね。
心から
愛しているよ!
あすた!!
 

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