2022年 御来光!
2022年 御来光!
生命の原点
太陽に
大地に
自然に
全てに感謝!
近年にない
最高の初日の出が見られました。
感謝!感謝!
今年もよろしくお願い致します。
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2022年 御来光!
生命の原点
太陽に
大地に
自然に
全てに感謝!
近年にない
最高の初日の出が見られました。
感謝!感謝!
今年もよろしくお願い致します。
トムハンクスさんの映画フォレストガンプの中で
主人公のフォレストが、無心にずっと走り続けるシーンがある。
取り憑かれたように無心にって感じのシーン。
なんとなく、心境がわかる。って感じ
犬もいないのに
いつもの散歩コースを歩く。
日頃、1回の散歩で1周を
3周も4周、5周も6周も何周も歩く。
「どうせ帰ったって、お世話がある訳でもない」
「寂しいだけ、悲しいだけ。孤独を感じるだけ。」
そんなおひとり様。
誰もいない部屋に帰るのは辛い。
辛いくらいなら寒い方がマシ。
ま、何周も歩く心境の時は、寒さなんて関係無くなっているけどね。
それと
もうじきこの足になって2年と5ヶ月になる。
やっと最近、以前、履いていたすり減った靴がしっくりと馴染むようになってきた。
これの意味は、以前のように歩け始めてきたのである。
歩けるようになって1年目の時は、
「なんて、偏った減り方した靴なんだろうか。」
「これじゃ、ちゃんと歩けない」
で、
デコボコしながら歩いていた。
びっこを引いて、ちゃんとした足運びと接地が以前のようにできなかったから、片減りがデコボコと感じていたのだ。
2年目でも片減りした通りの足運びや接地ができず、
「この片減りした靴の違和感、デコボコがなくなれば、きっと、以前の歩き方に戻る」
と気がついた。
そして
最近、デコボコをあまり感じない。
いや、感じないように意識して、減り合わせて歩けるように努力している。
片減りしたように歩いている。
そんな気がする。
足の痺れは、相変わらず。
医者にも残るだろうと言われている。
痛みは、痛いってほどじゃないが、まともでもない。
鈍い疼痛や違和感も相変わらず。
歩いても意味はない。
逆に痛めるリスクがあるから、余計に歩かない方が良い。
とも言われている。
しかし、人間は不思議と、当たり前に出来ていた事ができなくなると、悪あがきをする。
それで、少しでもできると、安心感を得て、自信を取り戻そうとする。
そして欲深い。
もっともっとを求める。
フォレストガンプで悲しみも嫌な事を忘れて歩いている事で、
日常、足に痛みが出る度に、「何周も歩けたじゃないか」
と自分に言い聞かせ、2年以上も経って治らない焦りや苦悩を消しにかかり歩く。
そして
今、一番辛く悲しく寂しい事や孤独から逃げるように歩き続ける。
朝も晩も。
正にフォレストガンプのよう。
朝日を浴びながらボールを追いかける姿はない。
画がないと寂しいから、あすたに届くように
忘れずに、また会えるように。を願い
姿を残す。
愛しているよ
去年は、12日。
密を避けて、ピークアウトしてからお参りをする事に。
今年も10日過ぎと思っていたけど、
「雪降って来た」
「雪の中の長蛇の列はない」(だろう)
って事で
行ってきました。初詣。
お札を返して、またもらう。
いつもはこれでおしまいだけど、空いていたので、他の物も物色。
で、
神楽焼のとらおくんと調の宮さま(調神社)のうさ子をゲット。
置く場所を考えちゃうけど、
この数年、失うモノばかりなので、神さまグッズで防御!?を。
良い事がありますように…
降った雪は、大雪ってほどではなかった。
激寒ぃってほどでもなかった。
なので、翌朝まで踏みしめた時の、ぎゅ、ぎゅが楽しめた。
お天気もよく、おひさま素晴らしい。
風もなく、最高で素敵な朝が来た。
そんな最高な雪と朝日を浴びると、
雪山、登って、いっきに麓目指して、滑りたい!
パウダースノー吹き上げながら滑りたい!
って感じになる。
やっぱり大自然は、偉大だね。
心が躍り、安らぎ、癒される。
すべりてぇー
犬の世界にあるかは知らないけど、
飼主的はあるのが、四十九日。
ホントかどうか知らないけど、
四十九日に魂が天に登る。
そう聞いた記憶がある。
なので、
明日から、あすたは、もうそばにはいない。
びっけたちと一緒のところへ魂も行ってします。
四十九日。
年越しがあったりで、あっとう言う間なのか? そうでないのか…
自分でも分からない。
が、正直なところ。
それと同時に、
未だに、いないのだが、いない感覚がない時がある。
不思議。
そんな49日目なのであります。
また会えるのかな…
お伴がいるお散歩は、楽しい。
しかし
匂い取りと道草ばっかりで
ちっとも先に進まない。
運動になっているの?
このお散歩は… (^-^;
びっけが元気な頃のあすたを迎える時から、ずっと決めていた。
あすたの次の世代まで。
数年前、環境が変わり、
健康状態、精神状態も変わり、
ずっと、ずっと、悩んでいる。
あすたの次の世代の事を。
あすたが元気な頃から、
その時が来た時、
余裕なく悲しみの中、
考えるのは、辛いし厳しいと思っていたから、事前に「犬終い」の事を考えて来た。
今まで、自分がトイレにも出せないほどに動けなくなるなんて、
1ミリも思っていなかったし考えもしなかった。
ギックリ腰みたいなっても、どんなになっても、トイレくらいは、どうにか出せる。と何十年もやって来たからだ。
だから、「犬終い」は、あすたの次の世代で終わり。
と決めていた。
それが、実際、ひとりになり、自分のトイレにも行くのに苦労し、水も汲めない、飲めない状態になり、あすたたちをトイレに出す事もできなくなった。
今日だけ、今だけの話しならば、どうにかにもなるが、
「自分で立てない、歩けない」1歩もになると、犬のお世話も無理となる。
それも長期に渡って。
そんな経験をし、
2年半経っても、元に戻らね健康状態でいると
「またなったら、悪くなったら、歩けなくなったら、どうしよう…」
の焦りと不安を抱えている。
今、幸い、悪くはなっていない。
整形外科にもちゃんと通っているし、消化器内科でも2~3か月に1回の血液検査と5~6か月に1回エコー検査も受けている。(現在は、整形外科は、現状維持。内科は、問題なし)
1年前に比べれば、良くもなっている気もするが、
「お世話は絶対!待ったなし!」 と思っているので、もしもと思うと不安となり、悩んでしまうのである。
それと、
あすたたちは、小さい頃から先住犬の姿を見て学んできた。
散歩の仕方、呼び戻し、泳ぎ方、テントやタープでの待機の仕方や、キャンプの時にどこがベースになるか、車の乗り方などなど。
人が教えるより、見て学ぶ方が早い。
これからの事を学んだ後の大人ならば、先住犬と離れても、覚えた事は忘れないでちゃんとできると思う。
そしたら、単独にもなれると思う。
また、小さい頃から一緒に行動する事で、絆が生まれて、仲良くもできると思う。
人とは、違い、「今日から一緒に過ごしますから仲良くしてください」って言われてもって事である。
お世話も絆も全ては、積み重ね。
その環境、先住犬からの学びを与えてあげられない事も悩む要因でもあるが、
単独飼いはしょうがない。
今の健康状態で、ひとりでキャンプに連れてってあげる事も難しい。
長距離の運転もまだまだやってみないと分からない。
湖や川、山のキャンプ。
「あすたたちが楽しんで来た事を与えられそうにない。」
そう思うと、「止めた方がいいのではないか…」
「連れてってあげられないなんてかわいそう」
と思ってします。
だから、ずっと、ずっと悩んでいるのである。
犬は好き
レトリーバーはもっと好き
パートナーとしてレトリーバーは必須でもあるし生きがいでもある。
だからこそ、
最後まで責任を持ってお世話をする。
だから、悩むのである。
まだたった2回目なのに…
めちゃくちゃ昔に感じるあすたの温もり
そんな2回目の月命日
形見に、少しだけ毛をもらっていた。
ドリームキャッチャーの飾りになって見守ってくれている。
右側があすた
左側があいん
あいんのはもう12年以上も前になるものだ。
びっけの時、忘れていなかった。
尻尾の飾り毛をどうするか…
ゴールデンのように、少しだけカットしても分からない。になりそうになかった。
火葬するからと言っても、カットして、みっともなくなっても可愛そう。
そんな思いもあってのか、
びっけの時は残す事はしなかった。
そして、その時に、あすたも残さなくていいかな。
そう思っていたのだが…
そっと触ると、少しだけあすたを感じられる。
こっちは触れるように、毛だけにしてまとめた。
夜
寝る時
夢ではない
ウトウトとしながら変な思いが頭に中を駆け巡った。
夢のように。
それは、
ジャンレノとか出ている素潜りの映画グランブルー(「レノン」の監督)の最後の場面、
主人公が、海底深くにもぐり、家族のように愛しているイルカたちが迎えに来て一緒に海の中に消えて行く。
そんなラストシーンだったと思う。(うろ覚え)
何のキッカケもなく、
急に、昔に見たそのシーンを思い出したような出さないような…
そのシーンと同じように
海の中ではないが、
この今の状態
たぶんベッドで寝ている今の状態のままなのだが、頭の中は、起きて空の上。
訳が分からない。
映画のイルカたちに誘われてロープから離れるシーンのような不思議な空間に似ている。
その空間には、あいん、びっけ、そして、あすたがいる。
みんないる。
はっきりと顔は見えない。
夢でありがちな姿。
顔とかはっきりと分からないが、あいんとびっけとあすたに間違いはない。
このまま私を連れてってと願った。
このまま現世では寝ている私をそのままあなたたちの世界に連れてって。
そう思った。
そして、
朝、いつも通りにベッドで目覚めれば、連れてってはもらえず
ベッドで目覚めなければ、
あの不思議な空間から、あいんやびっけ、あすたたちがいる場所に行ける。
一緒にいられる。
訳の分からない、不思議の空間の中にいても
頭の中で、この事だけは、はっきりとしっかりと分かった。
夜が明ける前、目覚めた
いつものベッドの中で。
当たり前であるが…
今、守る子もなく、お世話をする事もない。
まったくのひとりである。
だから、自由にできる。
今ならば…
そう思った2回目の月命日だった。
あいんもびっけもあすたも
みんな大好き!
愛してます。